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農業経営者ルポ

後継者よ創業者たれ

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第22回 1997年04月01日

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経営者であることの本質とは何なのだろうか。それは「意志決定」するということではないか。単に何をやれば儲かるかを考えるだけでなく、自らの経営がどの様な存在であり、何を果たすべきなのかを考えることである。逆に、それは自分のやりたいことが何であるかを考えることでもあるのかもしれない。しかし、それは経営の永続性や利益につながるものでなければならない。経営者とは、いわば経営の「理念」を確認し、そこから経営の「戦略」をたてていく者なのである。それは大企業経営者も一人の農家も同様なのだ。
 経営者であることの本質とは何なのだろうか。それは「意志決定」するということではないか。単に何をやれば儲かるかを考えるだけでなく、自らの経営がどの様な存在であり、何を果たすべきなのかを考えることである。逆に、それは自分のやりたいことが何であるかを考えることでもあるのかもしれない。しかし、それは経営の永続性や利益につながるものでなければならない。経営者とは、いわば経営の「理念」を確認し、そこから経営の「戦略」をたてていく者なのである。それは大企業経営者も一人の農家も同様なのだ。

 自ら誰に必要とされ何をなすべきなのかを決めず、家業や組織の進むべき方向を定めることがないのであれば、どれほど大きなお金や人を動かしていたとしても、彼は経営者というより単に幸運な管理人であるに過ぎないのである。

 変化の無い時代であれば、優れた前例に従うことができ、勤勉であるだけでもその役割は果せたのかもしれない。しかし、単に農業を取り巻く環境が変化していくばかりでなく、農業そのものの役割や意味すらも変わろうとする現在、若い農業経営者は何を自ら創り、何を問い、何を受け継ぐのか。

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