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旅の曲者

アデルの作文

アデルのことならよく覚えている。カイロの日本大使館で日本映画の上映会があるとき、決まっていちばん前で見ていたのが彼だった。初めて話しかけられたのは寅さんの上映の後だった。
 アデルのことならよく覚えている。カイロの日本大使館で日本映画の上映会があるとき、決まっていちばん前で見ていたのが彼だった。初めて話しかけられたのは寅さんの上映の後だった。

「私の名前はアデルです。私は日本語を勉強している。私はいま見た映画について質問がある。質問をすることはいいですか?」

 日本語を学ぶエジプト人の多くがそうであるように、彼もまた土産物屋でアルバイトをしていた。日本人向けにエジプト名物のパピルスの製法の解説をするのだ。

 ようこそわたしたちのみせに、おこしくださいました。わたしはかいろだいがくにほんごがっか2ねんのあでるともうします。これから、わたしはぱぴるすのつくりかたについて、みなさまにごせつめいいたします……。

 実際には、アデルは「かいろだいがくにほんごがっか」の生徒ではなかった。彼の日本語は日本大使館のエジプト人向け日本語講座で学んだものだった。授業料が払えなくなってからは、日本人の多い安宿や、日本映画の上映会などを利用して個人的に日本語の勉強を続けていた。そのせいかアデルの日本語の語彙には偏りがあった。

 日本語を勉強するエジプト人学生の多くは、手っ取り早く金になる観光ガイドを目指す。しかしアデルはガイド業には興味がなかった。自分は日本に行きたい。そのために日本語を勉強している、とアデルはいった。でも、仕事はどうするの。日本は物価だって高いし、外国人が仕事を見つけるのはとても大変だよ。きみが思っているようないい国じゃないよと、ぼくはいった。

 正直なところ、アデルの日本に行きたいという気持ちの真意はわからなかった。金目当てに日本女性との結婚を望むエジプト人もたくさん見てきた。ただ、アデルはほかのエジプト人にくらべると繊細で、他人に対して細やかな気づかいをすることのできる若者だった。

 その後もアデルと積極的な付き合いはなかったけれど、たまに土産物屋などで顔を合わせた。あるとき下町のマーケットを歩いていたときアデルに声をかけられた。日本企業の仕事でお客さんを案内してきたところだといった。久しぶりにお茶を飲みながら少しだけ話をした。

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