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読み切り

「農業経営者」実演・シンポジウム再録
野菜の生産と流通が変わる!〈カタログ請求〉付野菜の生産流通のあり方について

 産直などで卸売市場のシェアが低下しているらしいが、これを新しい動きとして喜んでばかりもおれない。何故なら、それは個別対応的なもので、あまりにもスケールが小さいからである。今、我々が考えなければならないのはそんな小さなことではない筈である。生鮮野菜まで輸入されるようになってきているのは、円高というハンディキャップはあっても、本質は野菜作に技術進歩が無かったからと言えなくはない。裏の庭で作るようなことをしていて、海外の野菜作に勝てる訳はないし、また、卸売市場にも進歩が無かったからではないだろうか。

 味や鮮度、内容・品質で勝負すると言っても、個別対応では量に不足し、質にもばらつきがあって所詮海外に対抗できるものではない。ここのところを考えなければならない。勝負は力で挑むべきものであり、その体制作りを考えなければならないであろう。

 とすると、オランダの花卉市場のような生産にも関与する市場の整備があってよいと思える。地方の農家に開発力があるならば、それを結集させてその面積を拡大させる工夫があってよい。経費は市場における賦課金で支出するのである。市場に来たものを売ってやる位の市場ならもう不必要なのではなかろうか。市場を改革することによって力を取り戻せるように思えてならない。

 栽培技術の改良や新種の開発・宣伝は本来、農業団体がやるべきことかもしれない。しかし、野菜作には地域性があることからすれば、木目細やかな対応は無理である。かと言って、農協単位ではスケールが小さ過ぎる。農協単位で成功している事例がない訳ではないが、かなり悲壮な努力の中から生み出されものであって、前例とすることはできないであろう。

 細菌は役所よりも役所的になってしまった農協が多くなってしまったから、生き馬の目を抜くような野菜作の生産・流通を農協に委ねるのが土台無理とする声を聞かない訳ではない。

 農協を頼りにしない、だから個別対応と言っても、繰り返すようであるが、個別ではスケールに限界があり、所詮、「力」にはなり得ない。そこで個別の集合、新しい市場形成に期待することになる。

 これ迄、進歩がないと言っても、農協や市場を当てにするのは、売り掛け金の回収が確実であることにもよる。内容に不満があっても止むを得ずそこを通すようにしたのが実際であろう。しかし、それに甘んじていては進歩がなく、また「力」にもなり得ない。

 一方、農協や卸売市場から離れるのはよいとして、繰り返すが個別では親戚付きあいを若干スケールアップした程度のことに終わり、これも「力」に乏しい。ここは何とかして組織を作ることであり、安定的に売り掛け金を回収できるシステムを作ることである。

 有機野菜にしても、近隣国は組織化して日本に輸出しようとしているのである。否、輸出を始めてさえいる。これらにどう対応するか。こうなると、今こそ心ある農家を奮起せよ、である。束になることを考えるべきであり、新しい組織作りが肝要である。カリフォルニアの花卉作農家のように、オランダを見習って新しい卸売市場作りをするようなことも考えられてよいと思える。

 野菜の生産・流通が変わる。変わるのではなく、変える位の覇気がなくては、日本の農業が滅びると言ったら言い過ぎだろうか。

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