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農業経営者ルポ

職業欄に「農業」でなく「会社役員」と書くこと

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第23回 1997年06月01日

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大事なのは意識の改革


 高橋さんは若い頃から複式簿記を勉強してきた。まず家の全財産を洗い直してみた。その上で「暮らし」ではなく「経営」を検証してみる習慣を付けてきた。

 農業経営の改革は、みなし法人として青色申告をすることから始まった。そんな高橋さんでも、いざ法人化を考えようとして悩んでしまった。

 高橋さんにしても、厳密に家計と経営の分離をしていくために、まず何より必要だったのは、それまで農家として慣らされてきた意識の改革だったのだ。

 「家の金が足りなければ持出すし、経営が赤字になれば奥の金を足してその場限りのツジツマ合せをしてしまう。ものすごく甘く、自由に資産移動をしてしまっている。それでは経営にならないのです。会社が赤字だからといって自分の資産を移してという具合にしたら本当の経営管理なんてできないわけです」

 それだけでなく、農業という仕事を暮らしと別物と考えるのは、農家の感覚では切ないものだったという。農家の場合、仕事と暮らし、そして地域とのつながりは他の仕事以上に強いからだ。

 また、高橋さんは最初、法人化を見かけの損得で考えようとしていた。しかし大事なのは損か得かではなかった。農業という事業を発展させるために仕事を社会化し、経済の合理を追求することだったのだ。経営を法人化してその代表者になるということは、普通の「生活人」として農家であるだけでなく、「経済人」としての「経営者」である自分を磨くことだった。

 例えば、購入する機械の価格を見かけ上の単価で「高い、安い」とは言っても、投資効果においてそれを語る人は稀だ。機械化についても、労働者的要求としての「省力」と生活者としての「我慢」が綱引きしているだけで、経営者として「投資の有効性」や「コスト」の観念を持てる人は少ない。そんなことは解り切ったことと言う人でも、果してその厳密さにおいて経営判断をしているだろうか。仮に技術的には優れた篤農家であっても、経営を数値において把握する習慣のできている人は少ない。そして、多くの人々は結果として暮らしが「間に合っていれば」それで満足しており「経営」を問うことはない。

 こんなこともあった。

 今は使っていないが、高橋さんの納屋には古びたタイムレコーダーが置いてある。法人化するに当たって高橋さんが買ってきたものだ。タイムレコーダーを押すのは高橋さんと奥さんだけだ。

 「何でこんなことしなけりゃならないの?」と笑いながらも奥さんはぼやいた。

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