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「農家という仕事はいつ働いていて、どこまでが暮らしなのかが解らないことが多い。実際に自分や妻がどれだけの時間を、本当の意味で業務として労働しているのかを確認してみたかった」のだ。
むしろ、それは高橋さんが和名川ファームの労働や仕事を知るための手段だったのであり、金銭的な面で奥と外を分けることとともに「農家の仕事」を「経営」にしていくための教材であったというべきなのかもしれない。法人なりしてもまだ人を雇っているわけではない。でも、この体験を通して、会社という職場を作っていくことの意味を確認できたのだ。
和名川ファームでは働くのは原則的に8時から5時であるが、奥さんは自分で家事の都合に合わせて時間を融通付けている。週1日は休むことも心掛けている。
しかし、経営者である高橋さんはその限りではない。作業するかどうかはともかく、1日24時間、1年365日、会社に責任を取るのが経営者だからだ。
高橋さんは農業高校を卒業して千葉大学の園芸実科で学んだ後、千葉県山武郡で野菜を作る人の所に実習生として3か月間働いた。稲作だけの庄内に生まれて、田んぼを持たない農家に触れたことが高橋さんを変え、その人の言葉を信じて今までやってきた。その人は高橋さんにこう話した。
「同じ作物を作り続け、そして、毎日地元の市場に届け続けろ。一つの物を作り続ければやがては値段が付く。付けてくれるものだ。それが地元の市場なのだ。地元の市場には人情がある。あっちが良いかこっちが高いかなんて考えるな。ともかくも作り続け、届け続けろ。そこから始めなさい」と。
まだ何の経験も無い頭が真っ白な状態でその人の話を聞き、仕事の手伝いをさせてもらった。そこで叩き込まれたことだけをなぞってみた。
教えられた通り、家に戻るとビニールハウスを作り葉物の生産を始めた。
稲作地帯である20年前の庄内では、米をどれだけ沢山取るかしか人は考えなかった。村の人には「バアサンと一緒に畑にしゃがんでいる変な奴」だと思われたかもしれない。でも、「それでいいのだ」と自分に言い聞かせてきた。
初めて作って市場に持込み、それが5000円になったときは、本当に嬉しかった。100束取って50円で5000円。金額ではなかった。自分でお金が取れたということが嬉しかったのだ。そこにお客さんがいる喜びだった。
「こんものこんなに持ってきても売れないよ」と市場の人に言われたりもしながら、それでも毎日持っていった。価格も惨めなものだった。そして4年目のある日、市場の担当者の紹介で高橋さんのサントウ菜がスーパーの定番商品として扱って貰えるようになり、価格も安定した。その分が今までの出荷分から外れると別の需要がでてくる。その後、同じ和名川の集落の農家も動き始めた。やがて和名川の葉物というイメージも市場の中にできて相乗効果をもつようにもなった。
むしろ、それは高橋さんが和名川ファームの労働や仕事を知るための手段だったのであり、金銭的な面で奥と外を分けることとともに「農家の仕事」を「経営」にしていくための教材であったというべきなのかもしれない。法人なりしてもまだ人を雇っているわけではない。でも、この体験を通して、会社という職場を作っていくことの意味を確認できたのだ。
和名川ファームでは働くのは原則的に8時から5時であるが、奥さんは自分で家事の都合に合わせて時間を融通付けている。週1日は休むことも心掛けている。
しかし、経営者である高橋さんはその限りではない。作業するかどうかはともかく、1日24時間、1年365日、会社に責任を取るのが経営者だからだ。
地元市場の人情
高橋さんは農業高校を卒業して千葉大学の園芸実科で学んだ後、千葉県山武郡で野菜を作る人の所に実習生として3か月間働いた。稲作だけの庄内に生まれて、田んぼを持たない農家に触れたことが高橋さんを変え、その人の言葉を信じて今までやってきた。その人は高橋さんにこう話した。
「同じ作物を作り続け、そして、毎日地元の市場に届け続けろ。一つの物を作り続ければやがては値段が付く。付けてくれるものだ。それが地元の市場なのだ。地元の市場には人情がある。あっちが良いかこっちが高いかなんて考えるな。ともかくも作り続け、届け続けろ。そこから始めなさい」と。
まだ何の経験も無い頭が真っ白な状態でその人の話を聞き、仕事の手伝いをさせてもらった。そこで叩き込まれたことだけをなぞってみた。
教えられた通り、家に戻るとビニールハウスを作り葉物の生産を始めた。
稲作地帯である20年前の庄内では、米をどれだけ沢山取るかしか人は考えなかった。村の人には「バアサンと一緒に畑にしゃがんでいる変な奴」だと思われたかもしれない。でも、「それでいいのだ」と自分に言い聞かせてきた。
初めて作って市場に持込み、それが5000円になったときは、本当に嬉しかった。100束取って50円で5000円。金額ではなかった。自分でお金が取れたということが嬉しかったのだ。そこにお客さんがいる喜びだった。
「こんものこんなに持ってきても売れないよ」と市場の人に言われたりもしながら、それでも毎日持っていった。価格も惨めなものだった。そして4年目のある日、市場の担当者の紹介で高橋さんのサントウ菜がスーパーの定番商品として扱って貰えるようになり、価格も安定した。その分が今までの出荷分から外れると別の需要がでてくる。その後、同じ和名川の集落の農家も動き始めた。やがて和名川の葉物というイメージも市場の中にできて相乗効果をもつようにもなった。
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昆吉則 コンキチノリ
『農業経営者』編集長
農業技術通信社 代表取締役社長
1949年神奈川県生まれ。1984年農業全般をテーマとする編集プロダクション「農業技術通信社」を創業。1993年『農業経営者』創刊。「農業は食べる人のためにある」という理念のもと、農産物のエンドユーザー=消費者のためになる農業技術・商品・経営の情報を発信している。2006年より内閣府規制改革会議農業専門委員。
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