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エクセレント農協探訪記

北海道・常呂農協

常呂町農協の久世篤史組合長とは、確か3年前、「土を考える会道東支部集会」という会合で会ったのが最初だった。これは道東地区の専業農家が集まる会である。そんな場所に農協組合長が出席しているのだ。それだけでも印象が強かった。「農協は営農を大切にしろ」農協組織がよく口にするスローガンである。そんなスローガンを掲げながら、本当に土のことを考えている農協組合長は果たして何人いるか。土をいじくったこともない。背広ばかりで作業服も着たことがない。そんな農協組合長もいる。それと比べてというのが、久世組合長と最初に出会った時の印象だった。
 常呂町農協の久世篤史組合長とは、確か3年前、「土を考える会道東支部集会」という会合で会ったのが最初だった。これは道東地区の専業農家が集まる会である。そんな場所に農協組合長が出席しているのだ。それだけでも印象が強かった。

 「農協は営農を大切にしろ」

 農協組織がよく口にするスローガンである。そんなスローガンを掲げながら、本当に土のことを考えている農協組合長は果たして何人いるか。土をいじくったこともない。背広ばかりで作業服も着たことがない。そんな農協組合長もいる。それと比べてというのが、久世組合長と最初に出会った時の印象だった。

 網走市のすぐ隣の常呂町は、オホーツクに流れ込む常呂川の流域に広がる農業の町である。この地に開拓の鍬が初めて入ったのは、明治16年(1883年)のことだった。久世組合長の住む岐阜地区でも、4年前、開基100年を祝った。地名の由来の通り、岐阜県大野町からの開拓移民が集団で移住してきた。開基100年祭では、町内に住むその末裔たちが「ルーツ」を確認のため、先祖がたどってきた道をトラクターで訪れたという。

 「先祖は本当によく基礎を作ってくれたと感謝をしているよ。常呂平野は平坦でね。ちょっと雨が降れば川の氾濫が起きるんだ。入植当初は、木を切り開いてやっとこさで種を植えて収穫しようとしたら、水に浸かってしまう。こんな苦い歴史の繰り返しのようだったと聞くよ。大正8年(1919年)に堤防をつけてもらうよう陳情して、それができたのが昭和3年のことだった。完成に8年ほどかかったな」

 本当に実直そうな人である。何のはったりもない。農協を訪れて最初の話題も「土」のことだった。土のことになれば話にも熱が入ってくる。根っからの農の人である。「土」にこだわるのはもう一つ理由があるのだ。災害である。常呂町の農家は、災害とずっと向き合わせできた。

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