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農業Uターン日記

“ウェルネス都城”知られざる風土(2)

西郷隆盛が所属した薩摩藩は、島津荘発祥の地である都城と大変深い関係にあります。私の尊敬する西郷隆盛は、貧しい武士の子で、いつも百姓で生計をつないでいました。そんな西郷さんは、こよなく農業を愛した方でした。薩摩藩は不毛のシラス(桜島の火山灰土)に覆われ、大変貧しかったといいます。農学書によると、殿様の島津成淋や西郷さん等が農業塾を開設し、農業の生産性向上に一生懸命だったそうです。大変な時代の中心人物でしたが、何よりも、平和に農業にうちこみたかったのだそうです。
農業をこよなく愛した西郷隆盛


 西郷隆盛が所属した薩摩藩は、島津荘発祥の地である都城と大変深い関係にあります。

 私の尊敬する西郷隆盛は、貧しい武士の子で、いつも百姓で生計をつないでいました。そんな西郷さんは、こよなく農業を愛した方でした。

 薩摩藩は不毛のシラス(桜島の火山灰土)に覆われ、大変貧しかったといいます。農学書によると、殿様の島津成淋や西郷さん等が農業塾を開設し、農業の生産性向上に一生懸命だったそうです。大変な時代の中心人物でしたが、何よりも、平和に農業にうちこみたかったのだそうです。

 私の好きな西郷さんのこのような部分を学びたい。これが都城を選んだ理由の一つです。


都城行きを決意したもう一つの理由


 白尾五紀氏に出会ったのは、種播きのため、日帰りで都城を往復していた時でした。「ソルゴー」の草丈が伸びず穂が出ているとのクレームがきっかけでした。何という情熱家で熱心な人かと感激し、都城行きを決意したのです。後に兄弟以上のおつきあいになろうとは思いもしませんでした。

 彼は小さい頃に御両親をなくし、おばあちゃんと共に苦労され、現在の酪農経営に成功し、宮崎県の農業指導士として後任の指導にも努力された方です。又、草地・飼料作物の栽培にはことのほか熱心で、土づくりを基本にした、草づくり、牛づくりの、南九州の先駆者としても立派な業績をあげられました。

 ソルゴーサイレージにおいては、宮崎大学農学部の三沢・田中・川村先生らと協力し、自らの愛牛で消化試験を実施、国際草地学会に発表され、南九州におけるサイレージ給与技術確立に対し多大な貢献をされました。今日私がこうしていられるのも白尾さんのお陰と感謝いたしております。

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