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私の生涯の模範 中村英蔵氏の生き方
私が雪印種苗の初代場長を務められたのは、中村英蔵さんの支えのお陰です。雪印種苗宮崎研究場が、今日地域に貢献できているのも、今は亡き中村さんの力です。
中村さんは、肉の行商売りをしながら現在の中村食肉を築き上げ、宮崎県食肉組合の会長を務めた、南九州・宮崎和牛の育ての親です。そんな方でありながら、いつも謙虚に大好きな自分の牧場の牛の世話に汗していました。私はそんな中村さんの後姿を見ながら、多くのことを学びました。
地域のリーダーでありながら、いつも謙虚に私利私欲なく、ただひたすら南九州の農業・畜産の発展の為にと働き、地位・名誉にはこだわらずに生きられた方でした。多くの人々に慕われ、亡くなられた後も有志により銅像が建ち、今もなお多くの人々の心に生きておられます。私のような見ず知らずの若造に耳を傾け、心を傾け、相談に乗り親身になって応援していただけたことは、何よりの励ましであり、勇気をいただきました。
何か、現世の西郷隆盛にお会いできた様なすがすがしい一ページでした。南九州に来て本当に良かったと思わせてくれた、私の大切な方のお一人です。生涯の師として忘れることはできません。
写真の師匠 飯田長雄・川崎利昭両先生
私が写真のとりこになったきっかけが、飯田長雄・川崎利昭両先生との出会いでした。
南九州には、名峰霧島連山、桜島があり、多くの芸術家が生まれ育っています。名峰に芸術家育つ、と言われるように、良い山は心の故郷となり、朝夕の変化の美しい様を見ながら芸術心が生まれ、いつしか立派な芸術家の誕生となるのです。
私も、都城盆地の素晴らしさに出会ってから、高千穂の峰を中心にした美しい自然を日本の農村の古里とイメージし、写真を撮りつづけるうちに、二科展へ入選するまでになりました。
これもきっかけは、両先生が中心となって行われていた、都城市写真教室に参加したことです。次第におもしろくなり、市美展入賞三回・無監査、宮崎県展・宮日展連続入選、勤労者美術展労働大臣賞受賞、二科展連続入選することができ、今日に至っております。
飯田先生は、写真家の秋山庄太郎先生や、植田正治先生、白川義員先生、峰須賀秀紀先生等と共に二科展写真部を支え盛り立てながら、地元でも文化賞受賞等の実績があり、大変地域に貢献されている方です。さらに地域の名医・飯田病院の院長先生としても有名な先生です。
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新海和夫
農業Uターン日記
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