ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

農業経営者ルポ

我れ、いまだ木鶏ならず

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第25回 1997年10月01日

  • この記事をPDFで読む
    • 無料会員
    • ゴールド
    • 雑誌購読
    • プラチナ
過去の歴史に仮定を持込むのは馬鹿げたことであるが、もし戦後に「農地解放」がなかったら、我が国は現在の朝鮮半島にある不幸を背負っていたのかもしれない。自作農化した農民の生産意欲の高まりが戦後の食糧難を解決させたのも事実である。そして今、農業界の衰退とは裏腹に農村や農家の暮らしは確実に豊かになった。
 過去の歴史に仮定を持込むのは馬鹿げたことであるが、もし戦後に「農地解放」がなかったら、我が国は現在の朝鮮半島にある不幸を背負っていたのかもしれない。自作農化した農民の生産意欲の高まりが戦後の食糧難を解決させたのも事実である。そして今、農業界の衰退とは裏腹に農村や農家の暮らしは確実に豊かになった。

 農地解放を別の視角から見れば、それは地主という名の農業経営者を農業から追放することだった。

 それに代わって戦後の農業をリードしてきたのは官僚であり農協だった。

 食糧増産の時代、窮乏の時代には農林官僚たちによる農業・農村改革政策は大きな成果を上げた。農協もまた、食糧需要の高まりを背景にした時代には自作農化した多くの農家の生産意欲を取りまとめていく機能を果した。しかし、作れば売れる時代から米過剰の時代へ、そして我が国の社会が先進国型の発展を遂げて行くようになると、それまでの官僚によるリードや農協組織では有効な答えを出せなくなってきた。そして、今回の食糧庁が誘導したともいえる米価の急落は、これまでの米政策の失敗を農水省自らが追認することでもあったのだ。

 戦後的農業政策の発端とも言える農地解放で合法的に土地を奪われた地主たち、とりわけ在村の地主やかつての自作農たちは、ただ排斥されるだけの存在であったのだろうか。彼らの、いわばオーナー経営者として農村の中で歴史的に果してきた役割、彼らが持っていた歴史と風土に根ざした農村・農業経営に対する知恵や才覚、そして彼らの矜持あるいは自負を、我々は改めて評価してみる必要がないだろうか。

 例によって前置が長くなったが、今回、山田義人さんにこのルポにご登場願おうと思ったのは、山田さんが語る農業経営者の自負こそが、かつての地主たちの役割を受け継いでいくものだと考えるからだ。

関連記事

powered by weblio