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農業経営者ルポ

我れ、いまだ木鶏ならず

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第25回 1997年10月01日

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 「『説得』ではだめなんですよ。以前、お宅の雑誌の特集タイトルに書いていたでしょう。『夢の見方教えます』って。あれですよ。農業経営者たちはね、村の農家の人たちに向けて『夢の見方教えます』って言えなきゃ駄目なんだと思う。経営者自身が自分で夢を見ているだけじゃ駄目で、経営者たちが村の人々や農産物を買ってくれるお客さんに向かって夢の見方を、多様な形で農業にかかわっていくことの価値を伝えなきゃ駄目なんだよね。農業経営者っていうのはそういう役割りを背負っているのだし、またそこに経営の可能性も見つけていくべきじゃないか」

 そして今回、改めてその時のことを話すと

 「まだまだ自分はその域に達しているということではないのですよ。農業経営者のあるべき姿として目指そうとしているんですよ」と山田さんは少し照臭さそうにした。でも「育み育まれ」を経営理念に掲げる山田さんの顔は真剣だった。そして、

 「人は説得では動かないのですよ。生きてきた人には、善し悪しは別にしてもその人なりのドラマがありプライドがある。そして誰でもそれを他人に認めて欲しいと思っている。押しつけても無理なんですよ。人は波動でもって感じ合うもの。説得しようと努力している内はまだ我々は本物ではないと思うのです。もちろん金勘定だけでもだめ。言葉以上のもので人々を納得させるだけの力が我々には必要なのですよ。私たちが果すべき仕事や夢を実現するために。ただ頑張っているだけでは駄目で、そんな人としての器を農業経営者たちは持たなければならないのじゃないか。むしろ我々は『いまだ木鶏ならず』と自らを戒める時ではないかと思うのですよ」と話を継いだ。

 「いまだ木鶏ならず」という言葉を、山田さんは「平成」の元号を考えたと伝えられる陽明学者・安岡正篤氏の本で学んだそうだ。

 名横綱双葉山が自分の相撲界での位置について安岡正篤氏に打った電報の文句だそうだ。そしてこの言葉にはこんな故事があるという。

 昔ある時、中国の君主が家臣に「絶対負けない闘鶏を育てろ」と命じた。その命を果すべく家臣は鶏を育て始めた。数ヶ月して君主が家臣に様子を聞くと、家臣は「まだ人を見ると挑みかかっていくような鶏しかできず充分ではありません」と答えた。さらにその後、君主が様子を尋ねると、その家臣は「まだ、他の闘鶏がその鶏を見ると挑みかかってくるので本物ではありません」と答えた。やがて、その家臣は「やっとできました」と答えて木の鶏を君主の前に差し出した。その木鶏は身じろぎひとつしないのに他の鶏はそれに挑みかかろうとしない。他の鶏は喧嘩を望もうとしない。でも、その木鶏の存在に圧倒されている。

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