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自分の畑は自分で診断する

これなら分かる「土と肥料」の実践講座窒素

このシリーズも回を重ねて25回、思えば遠くへ来たものだというのが筆者としての素直な感想です。連載をしていく中で最も訴えたかったものは、難しい土壌学の話でもなく、肥料の理屈でもなく、農村に暮らし、農業を営む者が外から様々な技術や情報を与えられ、それにYESかNOの判定だけをくだし、自ら考えたり自ら創造する機会のない生き方に疑問を感じるべきということです。
 このシリーズも回を重ねて25回、思えば遠くへ来たものだというのが筆者としての素直な感想です。連載をしていく中で最も訴えたかったものは、難しい土壌学の話でもなく、肥料の理屈でもなく、農村に暮らし、農業を営む者が外から様々な技術や情報を与えられ、それにYESかNOの判定だけをくだし、自ら考えたり自ら創造する機会のない生き方に疑問を感じるべきということです。

 行政主導型の社会形態が異常なものであることにも気づかず、異なった業種の人々と交流し、そこからヒントや具体的経営の手段をつかみ取っていくこともなく、ごく当然の世間の動きにも孤立して、寄り集まるのは農業者同士のみという農村社会に、疑問すら感じない生き方で本当にいいのかということです。

 農家という表現に該当するのはどんな家なのでしょうか?農村、農業、後継ぎ、長男、自分の土地…。このように一つ一つの言葉を真剣に問いつめていくと、なぜ農業に自分の道を決めたのか?この疑問に直面するはずです。

 与えられたものによって、自分の生き方の選択だけでなく、道を求めていくその能力さえ失ってしまったと言ったら言い過ぎでしょうか。この思考は作物への肥料のやり方や土との取り組み方にも反映しています。

 与えられる肥料設計に対して、その中から選び出すだけの行為は、それがうまくいかなかったときは、被害妄想に落ちて自分の取り巻きを恨み、またうまくいったときはシメシメと一人勝ちの気分にひたる。こんな事の繰り返しから何の発展があるのか疑問にも持たない生き方でいいのでしょうか。自己責任をとる訓練を何かでしていく必要が農村社会にはあるのですが、その手始めに土壌診断を提案するのです。

 現在の公的指導機関の動向として、土壌改良の現場指導者が育っていない事実があります。これを農業界の問題として批判するのではなく、元々頼れるのは経営者自身しかないことを自覚することなのです。圃場の自己診断は一つのきっかけであり、資材の購入から生産物の販売まで自分の足で立つ訓練意識を持つべきということです。

 この秋、米のパクリ屋にやられて、売掛金の回収が不可能となったというのは、農業生産者全体にとっては授業料を支払ったわけで、掛売という言葉の意味を身をもって知ったということでしょう。そして、この教訓は単に販売から遠ざかるということではなく最も確実で長く取引できるルートがあるとしたらその情報はどこから入手できるのかが今から始める事柄です。

 土壌改良も同じであり、施肥設計もそうですが、教訓に結びつくほどの失敗は宝物であり、この悔しい場面を寛大にとらえる余裕ぐらい持ちたいものです。

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