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農業経営者ルポ

自分の目の中に灯台と顕微鏡を持て

北海道夕張郡栗山町。千歳空港から車で約1時間の場所にある農事組合法人勝部農場(希望ケ岡農園)の入口には、先代の故・勝部徳太郎氏(平成8年7月30日没・享年92歳)が建立した石碑の並ぶ一角がある。
 北海道夕張郡栗山町。千歳空港から車で約1時間の場所にある農事組合法人勝部農場(希望ケ岡農園)の入口には、先代の故・勝部徳太郎氏(平成8年7月30日没・享年92歳)が建立した石碑の並ぶ一角がある。北海道開拓をなした先人への感謝、土への思い、役馬、草木、機械器具へ愛着、土に生きる覚悟、そして日本。そんな沢山の石碑の一つに次の言葉が記されている。

 「農業は大地に鍬で彫る版画なり」

 それは、徳太郎氏の農業に対する終生の思いであり、農業に生きた人生の目的と経営の本質を語ろうとしたものなのではないだろうか。150ヘクタール、年間販売額1億5千万円という大規模麦作。人々が求めて果せぬ経営を実現させながらも、徳太郎氏は農業の本質を、人の意志が一鍬づつ大地に刻み続ける美しきものの創造である、と考えていたのだ。広大な面積にもかかわらず畑の縁は草が綺麗に刈込まれ、まさに版画のような景観をなす勝部農場を訪ねた人は、その畑の一角にあるその石碑を見て改めて感銘を受けるのだ。

 徳太郎氏の教え子の一人だというべき、プラウメーカーのスガノ農機・社長・菅野祥孝氏は、その精神を伝えようと、同社の事務所や同社が上富良野町に建てた「土の館」にその言葉を掲げ、また、本誌での広告にも世界の土に働く者の写真に添えてその言葉を引用している。

 徳太郎氏については、様々な表現でその偉業が語られる。2.4ヘクタールから150ヘクタールという規模拡大を果し、規模だけでなく、その質において他に例の無い日本一の麦作経営者。30年間の麦連作を可能にする高収量生産技術を確立した人。70種類に及ぶ麦の育種家。150ヘクタールの畑に直径1mの暗渠を張り巡らせる農地造成をした人、等々。

 その誇り高き農業者人生と脅威的な経営成果を上げた徳太郎氏は、意欲のある農業者の憧れであり、師と仰ぎ見られる存在だった。昭和53年に発足した北海道のトップ経営者の集まりである「北海道土を考える会」の会員たちの初期のテーマは「勝部に追い付け追い越せ」というべきものであった(本誌17・18号参照)。徳太郎氏もまた、会員たちを自らの思いを伝えるべき後継者として指導に当り、多くの会員が勝部農場に泊りがけで勉強に来ていた。

 年間2000人にも及ぶ見学者を迎え入れ、訪ねてくる人々には、わざわざ「あなた方は何か農業への不満や泣き言があるのでしょう?」と水を差し向けた。そして、一言でもそれに類した言葉が出ようものなら、待ってましたとばかりに「何を情けないことを言うのだ」と大声を出して農業経営者のあるべき姿を説く、茶目っ気のある徳太郎氏でもあった。それは、どんなに権威があるとされる学者や文化人であろうと政治家や行政官であろうと変わらず、それを横で聞く弟子たちは心で快哉を叫んでいた。また、人々が推薦する位階勲等の一切を拒否し、北海道の農業経営者の間でカリスマといってよいほどの尊敬を集めた真の農業人であり、そして詩人だった。

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