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Economic eye

在野のエコノミスト 稲葉秀三 アカデミーに身を置かず国家社会に尽くす

2021年の年頭に当たり、70年前、復興期の日本を想い、稲葉秀三氏(1907~1996)を思い出した。政治経済の低迷・興隆と「知」は深い関係がある。
稲葉は戦前、企画院に勤め「物資動員計画」の策定に参加していたが(作業の結論は戦争をやるべきでない、米英を相手に戦争を構えたら国力が持たない)、昭和16年、和田博雄氏(後に経済安定本部長官)らと共に、いわゆる“企画院事件”で逮捕され、18年に保釈となった。釈放後、稲葉は戦時経済に関する資料や統計類の収集に取り掛かり、「戦争経済というものを記録して残しておく仕事を一生かけてやっていきたい」と決意していた。
戦後は、敗戦から3カ月後の1945年12月1日に、財団法人国民経済研究協会を創立し、戦争末期から着手していた資料収集を継続し、昭和10年頃から急速に進行した軍事経済への傾斜を分析した。同時に、物資供給力に重点を置きながら日本経済を測定する調査を行ない、日本経済の復興とあるべき将来の新しい発展方向を研究する研究機関を目指した。
終戦からわずか100日後という時点である。日本は敗戦に伴う荒廃の極にあり、ほとんどの日本人が茫然自失の状況にあった中で、戦後経済の再建と新たな発展を目指したことは驚くべきことである。同協会はまだ食うや食わずの生活の中で、日本の未来に向けて議論を始めたのである。

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